転勤族でいろんな土地に移り住むことが宿命だったころ、各地に友達を作っていました。20年くらい前ですが、今のようにインターネットは発達していないころです。ペンフレンド的な友達が北海道から沖縄まで20人近くいました。

その友人たちに子どものことを伝えるため、毎月1回、子育て新聞を発行していました。

『うららか育児日記』がこの『OHIYORI日誌』の前身。

家族が増えるのをきっかけに新聞の名前も変更したのです。

 

当時、関西に移り住んで間もなく。

一人っ子だった娘に、病気が見つかりそれに伴う発達遅滞も判明。

慣れない土地での通院と療育が始まりました。

2人目不妊の心配もしながら、いろんな不安の中での子育て。

毎月1回電車を乗り継いで片道1時間半の通院。

娘の療育と通院が始まって約半年後に2人目懐妊。

それから長男が生まれ、年子で次男が生まれ…。

5人家族としてのひより家の歴史が始まりました。

 

当時、朝日新聞の大阪支社の夕刊や、読売新聞のコラムにも取り上げていただいたことがありました。

OHIYORI日誌

堪忍袋の緒がぶっちぎれた話
  3児のハハはイライラする   凝視そのころの私は、とってもとってもストレスがたまっていて、常にイライラが飽和状態だった。特に生理前の数日間は超機嫌が悪く、ちょっとのことでキレまくっていた。月経前緊張症(PMI)なのかとも思っていたが、夫に言わせれば365日機嫌が悪いとのこと。うるさいわい。 煽りこのストレスのはけ口になりがちだったのは、子どもたちと夫。とはいえ、子どもたちはどんなに私がいらいらしていても、怒られてもおかまいなしで、狭い社宅の中を大騒ぎで走り回っていた。怒られた時には一時停止みたいに静まるのだが、またすぐに大騒ぎ。夫は平日がどんなににぎやかか知らない。土日に不機嫌マックスな嫁の様子を察知し、子どもたちを外に連れ出すのが定番だ。かろうじてその数時間の静けさで平常心を取り戻していたように思う。 ガーンところが、このフラストレーション満タン状態の平日に、うっかり家族以外に爆発をしてしまった…。それもいつも行くスーパーで。その時には頭に血が上るとはこのことかというくらいだったので、熱が冷めると自己嫌悪で死にそうなくらい一人で悶絶した。     何がそうさせたのか       雷その日、うららが幼稚園に行っている間に、快晴と日向の二人を連れて買い物に行っていた。かご二つに3日分の食料と日用品を山盛り買い込んで、レジに行った。3台あるレジのうち、混んでいないのは20代前半と思しき店員のレジだけ。子ども二人がいるので、できれば並びたくない私は、迷いなくそこに行った。ただその判断が大きな間違いだった。 雷無言でレジを始めた彼女の手は早い。しかし、大量に買い込んでいるためそれなりに時間もかかる。そのうち、快晴が飽きてちょろちょろ、日向はぐずりだす。 しばらくして集計「6,078円です」と、店員。いつもならできるだけおつりがないように出すのだが、この日はそんな余裕がなく、一万円札を出した。 ・・・・・と、その拍子、店員が受け取り損ねて一万円を落とした。それも、こちら側のレジ台の下。 「・・・・・あ。落ちた。」店員はそういった後、黙って待っている。・・・私に拾えといわんばかりに。 私はその時、日向を抱っこひもで抱っこしている姿勢。しかも快晴も飽きてうろうろしているから、外にでも出てしまったら大変。 店員は拾うつもりもなさそうなので、仕方なく私が日向を抱いたまま、無理な姿勢でお札を拾った。 店員は黙ってそのままレジを開けておつりを渡して知らんふり。   「ありがとう」もなし。 「すみません」もなし。 ついでに言うと最初に「いらっしゃいませ」もなかった。   イライラはマックスだったものの、もともと社員教育もなさそうな雑な店だったので、こんなもんだと自分に言い聞かせて袋詰めして店を出た。   雷車に戻り、快晴が買ってもらったお菓子を欲しがったので、探すとない。他にも買ったはずなのにないものがいくつもある。変だなと思い、再び店内へ。 すると、例のレジのところに、2つ目のかごが置きっぱなしになっているのを発見。私の後に何人かのお客がレジを通ったのに、気づかなかったのだろうか? 私は店員に「あの、これうちのなんですけど…ショボーン」と伝えると、店員は「は?えー」 私「なんで、さっき精算してくれなかったんですか?ショボーン」 店員「は?!えー」 私「忘れていたんですか?プンプン」 店員「いなかったですよね、あなた?!えー」 私「何言うとんの?!!ちゃんとおったがな!!!ムキー」 店員は押し黙り、私の方を見もせず、その時対応していた客の支払いが済むか済まないかのうちに、黙って急にそこにあった私のかごの中身をレジに通し始めた。まるで、『うるさいなあ』と心の声が聞こえそうな態度。 「あんた何考えとんの?!馬鹿にするのもいいかげんにしいや!!!!さっき1万円落とした時にも謝りもせずに!!ムキームキームキームキームキー」 すると、店員はこちらをにらみつけて、がんを飛ばしながら 「すみませんでしたぁ!!えー」とふてくされたように言った。 その時、日向を抱いていたのでこらえたが、もし抱っこしていなかったら店員のことをたたいていたかもしれない。 その後も店員は黙ってレジを通し、悪びれることもなく、普通に終えた。 震える手で精算したものの、怒りは収まらない。近くにいた男性店員を捕まえて、「店長よんでください!」と詰め寄ったものの、男性店員は「今日は店長お休みです!」と、その場を収めようとしているのが見え見えな対応。その対応にさらに腹が立ち、「そんなことでどうするん?!ちゃんと店員の教育しておきなさいよ!!!」と、怒り心頭で退店した。     自己嫌悪しかない…でもわかってほしい ショボーンどう考えても、店員が悪いのだが、他人に対してあそこまで怒りをぶちまけたのは初めて。振り返ると後味が悪いだけ。帰ってからもあの店で買ったものにまで腹は立つわで当分怒りがおさまらなかった。 ガーンその数日後から翌年に引越しするまで、昼夜を問わず無言電話がかかってきて大変だった。 無言だから誰のいたずらかわからないが、始まったタイミングがちょうどこのブチ切れ事件の頃とぴったり合う。 住んでいた界隈がそうなのか、このスーパーにとどまらず、近隣にはあまり商売っ気のない、愛想の悪い店が多く、転勤族で引越しして間がないと地元情報があまりないから知らずに地雷を踏むことが多かったように思う。 これを運が悪いと思うのか、地域性と思うのか…。 うららの転園騒動で教育委員会や幼稚園からとにかく拒絶され、ひどい目に遭ったからか、なかなかこの町が好きになれなかった。 この町に住んでいるというだけでストレスが溜まって、ちょっとのことでもブチ切れてしまったのかもしれない。 怒りが醒めたとたんに、自己嫌悪が襲ってきて、それはそれで苦しんだ。 なんだかんだ…産後うつ気味だったころの話…なんだよな。         おまけ てへぺろ気分転換に私はよく髪型を変えます。この時も、いらいらとともに髪を切ったようですな。 これくらいで気持ちがおさまればまだましな方だな~。     (1999.11.15記)
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ひなたの成長記録(7ヶ月)
  ひなたの成長記録(7ヶ月)   10月の初めから徐々にハイハイも恰好がついてきて、いよいよ前進開始。スピードup。 狭い3LDKの家の中、日増しにテリトリーを広げている。昨日まではこんなところに来てなかったのに!?って驚くこともしばしば。喜んでばかりもいられない。けがに気をつけなければ…。 10月の3連休で、母方の実家に帰った時に、田舎のだだっ広い部屋の中でのびのびしすぎたせいかその日を境にグレードアップした感がある。 髪も伸びてきてうっとおしいが、年末ごろまで伸ばして胎毛筆を作ろうと思っている。 うららも快晴も作っているから、日向だけないというわけにゃいかないかと。 外出するのもうれしいらしく、玄関まで抱いてくるときゃーきゃー言って大喜び。 眠っているからと、そっとして他の部屋で作業をしたりしていると、起きた時に誰もいないと大泣き。怒り心頭と言わんばかりの大泣きで猛抗議。 日向は他の二人と比べてあまり病気もしなくていいなあと思っていたら、天候不順とこの時期には異常な夏日続きで、うららが幼稚園から仕入れてきた鼻かぜをまんまともらい、中耳炎を起こしていた。 熱はなかったが、数日前からおっぱいののみが悪く、夜泣きをしていたわけが分かった。 こっちも寝てくれずいっぱいいっぱいで、イライラふらふら状態だったので、やれやれという感じ。 その後ポリオの予防接種までには治るだろうとタカをくくっていたら、当日に発熱してしまう。 何か感染症にかかってしまったよう。熱は丸4日間続き、38度台の熱があがったり下がったり。 3日を過ぎたころに体中にバーッと発疹がでて、気づいたのが夜だったが、怖くなり救急外来へ行った。その翌日から熱が引き始め、発疹も徐々に薄くなり始めた。しばらく残ったが、突発性発疹だったよう。 のど元過ぎればなんとやらだが、10月はそんなこんなで病院通いに明け暮れた。   元気になったころに、歩行器を購入し、今ではそれをガンガンに乗りこなしている。 精神的にも急成長したのか、嫌なことはがんとしていうことを聞かず自分の意思を貫き通すようになる。 成長を喜ぶべきなのだろうが、がんこちゃんがついに3人に増え、我が家はさらにさらに無法地帯と化している。 後追いも始まったが、わたしを追うことよりも常に近くにいる快晴を追いかけまくり、嫌な顔をされている。日向本人はお構いなしの様子。突き飛ばされたり、たたかれたりしているけれど、その場では大泣きしているがすぐにまたくっついていく。 歯も10月終わりにやっと下の前歯2本が一緒に生え始めた。おっぱいもまだ飲んでいるけれど、離乳食も進み、寝る前にちょっといるくらい。(今回、おっぱいの出はあまりよくないので、足りていないと思う。) 体重も11㎏弱と重くなり、抱くのがきつーい。順調にでかくなっている今日この頃です。 (1999年11月3日記)            
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ひなたの成長記録(6ヶ月)
  ひなたの成長記録(6ヶ月)   今年の夏はいつまでも名残惜しく、しつこーく暑さが残っている。 1999年9月12日で日向は6ヶ月を迎えた。   毎日姉と兄が目の前でいろいろやってくれるので、それが良くも悪くも刺激になり、興味の対象も広がっていく。 目の前で快晴がミニカーを走らせれば、手が伸びる。 ままごとででご飯を食べる役をいただき、偉い王様のように目の前にずらりとプラスチック製のごちそうを並べてもらう。 それがうれしい。 この頃の子どもの成長スピードってすごく早い。 昨日までできなかったことが今日いきなりできていたりして、それが日常となり、うっかりすると母子手帳に記入するのを忘れてしまい、検診のときにドクターにたずねられてあたふたすることとなる。 ついこの前も、バックオーライのずりばいの話を書いたのだが、6ヶ月後半に入るとどうやらこれが彼のはいはいスタイルかと思えるような進み方&移動の仕方を発見した。   それが、こちら。 片足を立ててずりっとやってきては、一旦お座り。その繰り返しで目的の場所へやってくる。 徐々にバランスよく四肢を使いはいはいできるようにはなってきているが、6ヶ月中旬で勝手にお座りを体得してからは、その姿勢が彼のお気に入りのようで。 3歩進んで2歩下がったところへドスンと腰を下ろす。 手元に興味のあるものがあると、目をキラキラ輝かせて口へ持って行ったり、たたいて音を出しては悦に入る。 力加減もわからないから、パワー全開でよく快晴を泣かせたり、うららを泣かせたりしている。 悪意がないのだが、快晴はそれが一番の脅威らしく、自分のおもちゃを奪われるのが嫌で怖がる。 挙句の果ては近くに来て手や足を触られるのさえ嫌がる始末。 「あああああああああああ!!ひなたんがああああああ!!!!!」と、絶え間なく快晴の悲鳴が響き渡っている。 お座りができるようになってからというもの、快晴の天敵と化した日向。 快晴もやられっぱなしではなく、こづいたりたたいたりしているのだが、日向がバランスを崩してどーんと転ぶと頭を打ったりして大泣き。 今年の夏がいつになく暑い気がするのは、毎日がこのように一日中うるさいからかもしれない。 (1999年11月2日記)
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