転勤族でいろんな土地に移り住むことが宿命だったころ、各地に友達を作っていました。20年くらい前ですが、今のようにインターネットは発達していないころです。ペンフレンド的な友達が北海道から沖縄まで20人近くいました。
その友人たちに子どものことを伝えるため、毎月1回、子育て新聞を発行していました。
『うららか育児日記』がこの『OHIYORI日誌』の前身。
家族が増えるのをきっかけに新聞の名前も変更したのです。
当時、関西に移り住んで間もなく。
一人っ子だった娘に、病気が見つかりそれに伴う発達遅滞も判明。
慣れない土地での通院と療育が始まりました。
2人目不妊の心配もしながら、いろんな不安の中での子育て。
毎月1回電車を乗り継いで片道1時間半の通院。
娘の療育と通院が始まって約半年後に2人目懐妊。
それから長男が生まれ、年子で次男が生まれ…。
5人家族としてのひより家の歴史が始まりました。
当時、朝日新聞の大阪支社の夕刊や、読売新聞のコラムにも取り上げていただいたことがありました。